読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

DEPORTIVO LA CORUÑA JAPÓN

スペインのプロクラブサッカーチーム「デポルティボ・ラ・コルーニャ」の情報を日本語でお届け致します。

ファン・カルロス・バレロンよ、永遠に!バレロンの軌跡を辿る。

ラス・パルマス所属であり、元デポルティボ所属のファン・カルロス・バレロンは、5月7日に今季限りでの引退を発表した。

本名はファン・カルロス・バレロンサンタナ(Juan Carlos Valerón Santana)で、1975年6月17日生まれの40歳。スペインのカナリア諸島アルギネギン出身である。

得意なポジションはトップ下で右利きの背番号は21番。
彼の右足から放たれるパスと類稀なるテクニックとドリブルは見るものを魅了した。

カナリア諸島で生まれる。兄弟との絆

ファン・カルロス・バレロンラス・パルマスアトレティコラス・パルマスカンテラ)時代に父親と兄を亡くしている。写真の彼こそ兄のミゲル・アンヘルバレロンである。辛いであるはずの現実に泣くこともしただろう。
でも、彼は現実と向き合い、そして笑顔でいることを選んだ。それが彼の今も変わらないあの笑顔に反映されている。
 

ラス・パルマスからマジョルカへ移籍

1997-1998シーズンにラス・パルマスからマジョルカへ移籍マジョルカでは36試合3得点を記録した。意外にも伝家の宝刀であるアシスト数の記録はこの時に無かった。
1998年の11月18日のイタリア戦にはスペイン代表デビューを果たしている。(後半46分にビットール・アルキサと交代出場。)
 

魔法使いはマドリードの地で輝き始める

1年間のマジョルカ在籍を経て結果を出したバレロンは、アトレティコ・マドリードに移籍する。1998-2000まで在籍していたバレロンプリメーラディビジョン、コパ・デル・レイUEFAカップに出場し合計で54試合に出場した。
主力として成長した1999-2000シーズンには出場機会を増やしチームに貢献。この頃からバレロンの名はスペイン全土のみならず欧州中に広がっていくことになる。
 

バレロンデポルティボにやってきた!

彼の軌跡に欠かすことが出来ないクラブこそが、デポルティボ・ラ・コルーニャである。2000-2013シーズンの13年間の間には様々なことがバレロンを待っていた。
「スーペル・デポル」の名で呼ばれていたデポルティボの新しい選手として迎えられたバレロンは加入後に主力としてシーズンを通して活躍する場面が増え続ける。
 
2001-2002シーズンにサンティアゴ・ベルナベウでのコパ・デル・レイではレアル・マドリードを粉砕する決勝アシストを記録する。(いわゆる、センテナリアーソ。バレロンは一気に株を上げた。
2002年日韓ワールドカップにも出場。予選グループリーグロシア戦ではチームを勝利に導く決勝ゴールを決めた!
 
大躍進の「スーペル・デポル」の功績者の1人としてUEFAチャンピオンズリーグに出場。マンチェスター・ユナイテッドバイエル・ミュンヘンに勝つなどデポルティボはヨーロッパの強豪の階段を上っていく。
バイエル・ミュンヘン戦での2アシストも印象的だが、やはり今も語り草として名高い「リアソールの奇跡」を演じたACミランだろう。ビクトル・サンチェス(現監督)からのクロスにバレロンのヘディングシュートのゴールは相手の戦力を確実に奪った。

 

バレロンに欠かすことが出来ないのはゴールを決めるストライカーだろう。ディエゴ・トリスタンワルテル・パンディアーニなど優秀すぎるストライカーデポルティボに在籍していた。しかし、インパクトが強かったのはオランダ人のロイ・マカーイだろう。
バレロンが輝くアシストスキルの裏には、それを決めるストライカーの存在がいつも居た。
 
順風満帆の選手人生に落とし穴があった。2006年にバレロンは約1年を費やす大きな怪我、左膝の前十字靭帯断裂をしてしまう。
ここから彼の選手人生は少しずつ狂い始めてしまう。

 

 2007年1月7日のリアソールレアル・マドリード戦で怪我から復帰したバレロンが戻ってきた。誰もが待ちわびた瞬間。出場時間はわずか1分だったものの、その1分はとても貴重で濃い1分だった。

 
2011年5月21日の最終節のバレンシア戦で0-2で敗戦したデポルティボ20年ぶりの2部降格が決定。そして、バレロンは泣いた。

 

いつも優しく、笑顔が溢れていたバレロンはこの時ばかりは涙が溢れて仕方なかった。バレロンの泣いている姿はもう見たくはなかった。
 
2011-2012シーズン、セグンダディビジョンでの戦いを強いられたデポルティボだったが圧倒的な強さを見せる。バレロンはほとんどの試合でキャプテンマークを付けてチームを牽引するキャリアベストタイとなる5得点を記録した。
写真のように大親友のマヌエル・パブロを含めた仲間たちと優勝を祝った。本当におめでとう!
 
セグンダディビジョンでの優勝からプリメーラに戻ってきたデポルティボだったが、再び降格となってしまう。シーズン終盤の怒涛の追い上げにデポルティボだったが、その反撃も及ばなかった。
バレロンはまたしても泣いてしまう。もうバレロンの泣いた姿は見たくないと思ったのに・・
バレロンはシーズン終了後にデポルティボの退団を発表。13年間もデポルティボに居てくれてありがとう。本当、バレロンにはサポーターとして感謝を贈りたい。

バレロンは故郷に帰る

2013-2014シーズンに生まれ故郷のカナリア諸島のクラブであるラス・パルマスへ移籍したバレロンセグンダディビジョンでプレーをし続ける。
このシーズンは惜しくも昇格を逃すものの、2014-2015シーズンに1部昇格を成し遂げる。またバレロンプリメーラで見ることが出来る喜びはサッカーファンからするととても嬉しいことだった。 

 

2016年3月1日のヘタフェ戦にてファン・カルロス・バレロンは、プリメーラ・ディビジョン400試合出場を達成した。マジョルカアトレティコ・マドリードデポルティボ、そして、ラス・パルマスの4つのクラブを渡り歩き、40歳になっても試合に出て多くの選手たちに影響を与え続けるバレロンの偉大なる記録達成に、ただただ拍手を送りたい。

 

2016年4月11日。リアソールのピッチに立ったバレロンバレロンリアソールで見られる最後の瞬間となった。
 

さいごに

最後は私の話になってしまうが、私にとってバレロンは大好きな選手であると同時に尊敬してやまない存在である。彼の穏やかで誰しもが笑顔になれる表情や性格は本当に素晴らしいと感じる。
私がデポルティボを愛するようになったきっかけは、バレロンのパスからのトリスタンのゴールであり、彼の芸術的なパスが無ければデポルティボをここまで愛することは無かったと思う。
今季限りでの引退には、正直心痛めていてまだプレーを見たいと思う気持ちが大きい。でも、その気持ちは抑え、バレロンにはこれからもサッカーと共に歩んで欲しいと思う。
 
ありがとう。バレロン。そして、本当にお疲れ様でした。
 
All Photo: La Opinion Coruña.
 

 

広告を非表示にする