DEPORTIVO LA CORUÑA JAPÓN

スペインのプロクラブサッカーチーム「デポルティボ・ラ・コルーニャ」の情報を日本語でお届け致します。

アウグスト・セサル・レンドイロ会長としての最後の試合。


2014年1月19日。デポルティボにとって大切な日になるに違いない。
デポルティボ・ラ・コルーニャを25年間会長として牽引してきたアウグスト・セサル・レンドイロ氏が会長の役職として最後の試合を迎えるからだ。
しかも、バレロンリアソールに凱旋する試合でもあるのだ。
来週の火曜日(21日)と水曜日(22日)に予定される新会長選挙をもって、レンドイロ会長は退任しデポルティボは新しい会長が就任する。

今でさえ批判もあう会長ではあるが、クラブにもたらした功績は揺るぐことも記憶から消えることもない。
レンドイロ氏が会長として席に座った試合は244試合。
(ラ・リーガ987試合、コパ・デル・レイ139試合、スーペル・コパ6試合、ヨーロッパでの試合112試合)
特にその中でもラ・リーガ制覇1回、コパ・デル・レイ優勝2回、スーペル・コパ3回は素晴らしい成績である。
欧州の舞台での大きなタイトルは無かったものの、デポルティボは欧州全体から称賛を受けた。特にチャンピオンズリーグでの活躍は時が経った今でもサッカーファンから語り継がれている。



当時、デポルティボは最悪な時間を過ごしていた。ラシン・サンタンデルと競い合い、瀬戸際でセグンダBの降格を免れる。
しかし、負債は3.16ミリオンユーロを抱えていた。

その時、急激な変化が必要だったデポルティボにアウグスト・セサル・レンドイロ氏が候補として現れた。
一部の株主は彼を推薦した。その理由はア・コルーニャホッケーチーム"HCリセオ"での成功だった。スペインの強豪ホッケーチームへとHCリセオを押し上げた腕を見込まれ、デポルティボでもそれと同じように出来るはずだと思われたのだ。

6月2日にレンドイロ氏は負債に対する保証の提示を577も提出し、その12日後には1500近くの保証を提示した。
これにより彼は選挙をすることなく、1988年6月13日、デポルティボの会長として着任した。

その後、レンドイロ会長は12000人のソシオを増やす政策"Deportivo carmina o revienta"を実施し、当時の監督だったアルセニオ・イグレシアス監督の契約更新を早々と決める等、積極的に負債の返済に注力した。
それが実り、スタジアムにはファンが増え数年後には抱えていた負債は完済した。

そして、それから”スーペル・デポル”と呼ばれる黄金時代に突入する。
ラ・リーガではレアル・マドリーバルセロナ等と互角に戦い旋風を巻き起こす。優勝も成し遂げ国内ではコパ・デル・レイを2度制覇した。
更にヨーロッパの舞台でもデポルティボの勢いは止まらず、チャンピオンズリーグ準決勝まで進出するなど世界中に驚きを与えた。

しかし、長く続くことはなく黄金期は崩れ落ちた。
2005年からヨーロッパの大舞台では勝てなくなる。原因はチームの高齢化と主力の放出に疑問が残る補強だった。レンドイロ会長は債務のコントロールを失い、今まで以上に負債はどんどん膨れ上がった。
そして、2013年に破産申請。チームはセグンダに2度降格するなど結果も付いてこなかった。
今、クラブは苦しんでいるままレンドイロ氏は会長を退任する。


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